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聲明について

3.聲明の伝来と奈良聲明

東大寺要録 では、いつ日本へ輸入されたのでしょうか。このことについての明確な資料を見いだすことは出来ません。しかしながら、仏教と密接な関係にありますので、いずれにせよ、仏教が伝来した六世紀ごろではないかと考えられます。

 奈良時代には、南都諸大寺で四箇法要を中心に唱えられていたようです。聲明が唱えられた初期の記録として、天平勝宝四年(752)に執行された、東大寺大仏開眼供養会の際に梵唄が唱えられた記録が残っています。『東大寺要録』巻第二を見ますと、梵音百人、錫杖二百人、唄十人、散華十人などの記述が見られ、開眼供養にあたっても、やはり四箇法要が営まれたことが判ります。

 奈良を中心として唱えられた聲明は、総じて奈良(南都)聲明と呼びます。奈良聲明は、時代と共に乱雑化していったようです。『続日本記』には、養老四年(720)十二月二十五日の条を見ますと、「近頃は、僧尼が勝手な唱法や、別の読み方をしている。そのうちに俗化してしまう」という状況にまでになったようです。その際に「唐僧道栄や学僧勝暁らを手本に転読・唱礼すべきで、その他の誦法は停止せよ」との詔がなされた記録が残されています。その事もあいまってか、次第に他の聲明へ同化・吸収されて、後の新しい聲明へ座を渡すようになりました。

 記紀等の歴史書には、しばしば法会の記述が出てきますが、その当時の聲明は、どの様なメロディだったのでしょうか。残念ながら確たる資料がありません。しかし、現在でも東大寺や薬師寺など奈良の諸大寺では、綿々と法会が行われていますので、その聲明の旋律から、当時の面影をうかがい知ることができると思います。


写真:筆者蔵 筒井英俊校訂『東大寺要録』 国書刊行会


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